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戊辰戦争とイラストレーター

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戊辰戦争とイラストレーター

戊辰戦争から150年の南部盛岡に行ってきました。

用件は、楢山佐渡百五十年遠忌、ならびに盛岡藩士卒戊辰戦死者供養の法要参列でした。楢山佐渡の生涯を描いた新聞連載さし絵をてがけた縁でお招きいただいた次第です。

楢山佐渡は、戊辰の役秋田戦争の責任をとり、6月23日に刎首されました。150年前の昨日のことです。
法要では、盛岡藩として戦い命を落とした戦没者の慰霊も合わせて行われました。

わたしはその歴史を見てはいません。ですが、挿絵を描いているときには、間違いなく「彼ら」が心の中に存在していました。手を合わせながら、今生きている私が、数多のしかばねの上にある命とは…と、問わずにおれなかったです。

楢山佐渡の生涯を描くことで、この一年半、まさにフリーランスとして「ギャランティを得、メシを食って」これました。すみません、言葉が汚い…。それでも、やはり佐渡さんに生をいただいたという、とてつもなく「リアルな実感」がわたしにはあります。死してなお、後世に生きる私たちに糧を分けてくださっている楢山佐渡さん、そして戦いに命を落とした侍たちの命なのです。

時代を必死に生きること自体が、種をいくつも撒く、ということなのですね。歴史は表裏一体、正しいこと、間違っていることはないのです。必死にその日を生き抜けばいい。撒かれた種はさまざまなかたちで後世に生きる人を助けるのでしょう。

法要、式典が終わり、盛岡市先人記念館に所用があり、学芸員さんとお会いしてきました。岩手の先人の歴史を一堂に集めた記念館です。広いロビーでいろいろなことを話しながら、「時代を必死に生きることが、次の世代に種を撒くこと。」という考えが頭から離れませんでした。

イラストは連載に使われたなかの一部です。