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正岡子規のこと・第一回

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正岡子規のこと・第一回

今日、正岡子規のテレビ番組をやっていました。子規は34歳の若さでこの世を去りましたが、番組は、猛烈な痛みを伴う脊椎カリエスとその症状を現代医学から検証した内容でした。

私は10年近く前、正岡子規の東北旅を綴った「はて知らずの記」を読み、可能な限り忠実に正岡子規の歩いた旅ルートを辿りました。
彼がみちのく路を歩いたのは、明治26年、26歳の時です。すでに吐血した後で、それでも子規は、ひたすら歩きました。

子規が様々なことを細かく文で残したことはよく知られるところです。みちのく一人旅の時も、彼は道筋から地名まで、こと細かく文章に残しています。120年後、だから私は子規の句を歌枕に辿ることができました。

子規のことを思うと、あらためて表現者として「残す」ことの大切さを痛感します。人が残したものは、必ずや後世、響いた誰かが引き継ぐんです。

わたしは、河北新報夕刊に月二回、絵とエッセイで連載した内容を一冊の画文集として残しました。
丸善仙台出版センター=自費出版を請け負う出版社から出した「子規と歩いた宮城」でした。

新聞連載時、諸事情で宮城限定となったのが心残りで、後日時間を見つけては、一年がかりで子規の東北旅ルートを全て辿りました。いつの日か、完全版「子規と歩いた東北」を出したいものです。

今日、昼、イラストレーターの大先輩、村上かつみさんがアルティオヘ立ち寄ってくれました。尊敬する作家のひとりです。年齢も一回り以上、上です。が、私と村上さんには一つの共通点があります。表現の根っこに文学という根を持っているということ。村上さんと話したあと、夜、テレビから流れてきた正岡子規。

自分のよって立つ柱の一つはやっぱり文学がなんだな、…と、つい、自分の書いた本を開いていました。
なので、1ページ目をここにアップします。ちなみに絵を描き、原稿を書いた日は2011年2月28日。震災前に連載の依頼があり、はじまったのは震災の影響で、たしか5月だった…と記憶しています。

震災を引きずっての取材と連載でした。ことしも3月11日まであと少しとなりました。数日置きに新聞連載の原稿をアップしていきたいと思います。
生きることは旅することなんだな。
+  +  +
『子規と歩いた宮城』第一回 東京・根岸 
 〜みちのくへ 涼みに行くや 下駄はいて〜  子規

「旅に出よう。」
 その感覚は人の心の根っこにひそむ独特の感情の一つだと思う。きっかけの大方は、何かの節目だ。
 心をチェンジする時や、学びを得ようとする時、はては大きく前に進む決意を持った時など、言い換えれば強い意志で未来を変えようという意思が、人を旅に誘うのだろう。私自身、絵を描くよりどころの一つに旅がある。もちろん新しいインプットを求めてだ。
 俳人正岡子規が、明治二六年、東北を旅していたという事実を知ったのは、二〇〇九年のことだ。彼の歌詠み旅日記は「はて知らずの記」として新聞日本に連載された。
 彼は何を東北に見たのだろう?「はて知らずの記」を歌枕に、子規の影を宮城に追ってみよう。そう思った時、私の新しい旅が始まった。
 子規が東北に出発した場所は、東京の根岸だ。最寄り駅の鴬谷駅に降り立ち、旅立ちの場所をようやく探し当て振り返った。と、数軒先に、子規の句を辿る旅人と「子規庵」が見えた。

文と絵 古山拓

東京根岸・子規庵界隈