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イーハトーヴォの風景

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イーハトーヴォの風景

先の台風による被害は広範囲に及びました。
被害に遭われた方の心中は、いかばかりか。心が痛みます。
一刻も早い復旧と、補償や手当が遅滞無く届くよう、心よりお見舞い申し上げます。

***
水彩画とエッセイを依頼された仕事の刷り上がりが届きました。
「メルカート」最新号です。
今回は岩手の北上山地の開拓入植地のお話です。

宮沢賢治は岩手を「イーハトーヴォ」と表現しましたが、北上山地に分け入ると、その気持ちがわかります。

私の幼少時代の原風景のひとつでもあります。

テキストを最後にアップしました。よかったらご一読ください。

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岩手・薮川高原  

Prologue-物語のはじまり

 盛岡から東に向かう国道455号。道は龍泉洞で有名な岩泉を通り小本へと出る。その昔牛に塩を括り付け運んだ塩の道だ。
 盛岡からくねった道を走り高度をかせぐ。すると薮川・外山という地名が現れる。薮川高原だ。高原の冬は氷点下20度を記録する本州最厳寒の地でもある。龍泉洞は日本三大鍾乳洞として有名だけれど、何も知らずに通る旅人には平凡な田舎道に過ぎないだろう。
 一帯は、入植開拓地だった。サイロや六角形屋根の納屋がいくつも点在するのはその証左だ。描くために初めて訪れたのは、15年前の2004年。初の岩手個展の取材だった。

 気がつかなければ通過するだけの高地開拓村。しかし、一本の脇道に分け入ると丘が連なり開拓という厳しい暮らしに醸成された逞しい美が在る。その美しさに惹かれ、再訪を繰り返し何枚も描いてきた。
 なぜにこれまで薮川外山が私の心をざわめかせるのか?

 実はわたしは1964〜65年、2〜3歳の幼年期をその地で過ごしている。一番古い記憶がおぼろげな外山の記憶だ。だからだろうか、現地に立つと「寂しさ」と、ここに暮らしていたんだ、という「誇り」のような気持ちがないまぜになった感情に包まれる。
 今回の絵のタイトルは「Prologue-物語のはじまり」。
 誰もが人生という物語を生きている。薮川高原は、開拓精神と自分の物語が出合った十字路なのである。

絵と文:古山拓