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子規と歩いた宮城

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岩沼市民図書館に搬入展示で行ってきました。絵本「海の見える丘」(くすのきしげのり・作・古山拓・絵)オリジナルプリント・コンセプトラフスケッチと画文集「子規と歩いた宮城」(古山拓・絵と文)水彩原画の展示です。

岩沼市は、仙台市中心部からクルマで30分ほど。仙台空港がある町です。天気予報は雨でしたが、荷物を運び下ろすときはしっかり雨は止んでくれました。何度も言います。晴れ男です。テンション下がってる時はダメだけど。

図書館内に入ると、あちこちに告知が張り出され、頭がどんどん下がって体は小さくなっていきました。

展示総数は36点ほど。

館内二階のギャラリースペースを使っての展示ですが、どんぴしゃり、一つも余らず、絶妙間合いでハマってくれました。持っていった点数が「ピタッと会場にハマる」ほど嬉しいことはありません。というか、この時ばかりは「ドヤ!」となります。ドヤ顔で周り見渡しても周りには誰もいないけど。

展示は妻と二人で2時間で終了。7/23の講演会サイン会の現場打ち合わせも流れで押さえて、今日のところは無事終わりました。

明日から8/2まで、原画展は開催されます。前にも書きましたがコンセプトラフスケッチは、作家「ドヤ!」顔ラインナップです^_^(意味不明ですね。要は画家って生き物は、普段表に出ないラフや素描こそ見てもらいたいんだ、ってこと)入場無料です。ご近所の方、絵本好きな方、どうぞ足をお運びください。

ちなみに松尾芭蕉が歌に読み、正岡子規も立ち寄った「二木の松」は岩沼市民図書館から徒歩数分なんですよ。「子規と歩いた宮城」の原画を見た後、子規の気持ちで岩沼散策。オススメします。

 

それは強く優しい書でした。末尾に私が恥ずかしながら蓮の絵を描かせていただいた作品です。揮毫したのは書家、菅原紫雲先生です。冒頭スナップは、メディアテークで開催中の「2019みやぎを魅せる書展」(8日最終日)で先生とご一緒した写真です。

紫雲先生との出会いは10年前にさかのぼります。私とガラス作家、染織作家の三人で仙台・森民酒造酒造本家の酒蔵を借り切って「広瀬川美術蔵」なるアートイベントを開催ました。その会場にいらしてくださったのが縁のはじまりです。
宮城の銘酒のひとつ「伯楽星」の題字を書かれた先生です。「ああ!あのラベルの書!」とうなずく方も多いでしょう。

アルティオギャラリーに何度もいらしてくださっているのですが、二ヶ月ほど前、「相談があります」と立ち寄られました。聞くと障がいをもったお兄様を亡くされたこと、そしてお兄様への思いを書に表現したい。最後に私に蓮を一輪描き込んでほしい。そんな重量のある依頼でした。

アルティオに持ち込まれた和紙には、すでに亡きお兄様への想いが、障がいをもった人々への感謝の言葉とともに愛情にあふれた筆致で刻まれていました。書き上げられた言葉を丁寧に読み上げながら「最後の空白。ここに蓮をお願いします。」

残された余白に描く、、、。躊躇しなかったといえば嘘になります。何度も描いた中からよくできた一枚を選ぶのではありません。一回で描き切らなければなりません。失敗は許されない。
筆を入れる日、こんな私であっても心を鎮めることから入りました。(もちろん事前に鉛筆ドローイングと打ち込みならぬ描き込みを繰り返しています)あとは一気。

お渡しした日からひと月ほどが過ぎ、そして今日。紫雲先生の大作は、障がい者を長いあいだ看取ってきた方にしか表現し得ない「静謐なる感謝」を光とともに放っていました。そんな紫雲先生だからこそ、わたしのようなアウトサイダーを優しくも受け入れてくれたのだと思います。あり得ない機会をいただきありがとうございました。
先生の作品写真をアップします。ぜひ、揮毫された内容をご一読ください。
「2019みやぎを魅せる書展」は8日が最終日です。

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正岡子規「はて知らずの記」を辿る連載は,偶然にも私と縁のある、もう一人の書家との交流にも触れていました…。予定調和でしょうか?不思議な感じです。今回子規の足跡に訪ねた場所は、仙台・国見です。

書家伊藤康子さんとの合作もアップします。同じ場所に取材した、全く違う水彩と墨絵をお楽しみください。

 仙台・国見
夕立の 見るゝゝ 山を下りけり  子規

 実は私はこの句をもとに、書家と一つの作品を共作したことがある。私が墨画を描き、同じ紙に書家が子規の句を揮ごうした。この共作で私は、作家がお互いの心の深い領域まで踏み込まないと作品にならない、という貴重な経験をさせてもらった。もっとも作品が完成したのは、私の稚拙さを、書家が鷹揚に構え補ってくれたからに他ならない。

 何を言いたいかというと、表現者のキャッチボールで生まれる化学反応の面白さだ。正岡子規は、国見の南山閣にて、歌人鮎貝槐園(かいえん)といくつもの歌詠みを交わす。子規が「涼しさのはてより出たり海の月」と詠むと、同じ心を槐園は次のように返したという。

 はたゝかみ遠くひゝきて波のほの月よりはるゝ夕立の雨  槐園

 文人が集った南山閣には、きらめくような言葉の化学反応が起こっていた。国見に生まれた作品たちは、表現者同士の魂の交歓だったのではないだろうか。

 国見の高台の今は、住宅地だ。何本もの電柱と遠くに見える木々が「夕立くだった青葉山」をトリミングしていた。
(絵と文・古山拓)

  

書家伊藤康子先生との共作。(サイズ全紙)

「笑ってっか?」

「おめえは手ごわがったな」

「君はなかなか嫁にいきたがらないなぁ。今回はいい出会いがある、きっと^_^」

そんなふうに梱包しながら一点一点の絵に声をかけ、そっと撫でながら箱を閉じました。さすがに声を出すとなんだかこっ恥ずかしいので、もっぱら「心の中での声掛け」ですけど。画家のちょっとした儀式かもしれません。(他の作家さんには聞いたことが無いのでわかりませんが…)

11日からはじまる神戸個展の会場・トアギャラリーへ向けて、GWの最終日の今日、仙台のアトリエから荷物が出発しました。今は絵達は仙台の集荷センターについたあたりかな。

トップの絵は展示のなかでも、もっとも小さな作品のひとつ、「Triumph」です。絵画寸法は11センチ四方。北海に面したイギリスの港町で出合った、たぶん、じゃじゃ馬です。きちんとしたギャラリーでは初お披露目です。
そうそう、神戸のトアギャラリーにはBGM用にCDを5枚持ち込みます。すべて、思い入れがあるものばかりです。どんな曲かはお楽しみに。

さて、子規のはて知らずの記を辿る連載が、二人展と個展準備に終われ、辿りつけていませんでした。

今日は久しぶりに続きをアップします。子規は松島行から仙台に戻ります。

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仙台大橋

「旧城址の麓より間道を過ぎ広瀬川を渡り槐園子を南山閣に訪ふ」

(はて知らずの記より抜粋)

 松島遊覧から戻った正岡子規は仙台市内に投宿。はて知らずの記の草稿には「針久に投ず」という一文がある。文献等に国分町付近と仙台駅周辺に同名の旅館を見つけたが、残念ながら両方とも今はない。子規がどちらの宿に泊まったのかは分からない。旅を通して二つの針久に投宿したとする説もある。

 どちらにせよ日々強烈な刺激を受ける子規にとって、宿は一日で最も心安らぐホームだったに違いない。ホームはたどり着く地でもあり、出発の地でもある。

 さて、松島の刺激を宿で鎮め、新しい一日に出発した子規は、仙台に何を見たのか。かかる抜粋を今に辿ってみよう。

 大橋を青葉山へ渡り右に折れる。直進すると澱橋が広瀬川をまたぐ。南山閣とは国見の高台にあった伊達家老石田家の別荘だ。察するに子規は大崎八幡を横目に唸坂を上り、南山閣へ。訪ねた槐園(かいえん)とは、鮎貝槐園。気仙沼出身の歌人落合直文の実弟だ。

 明治の時代、南山閣は文人歌人が集まるまさにホームだった。仙台での子規の数日がここに始まる。

(絵と文・古山拓)

下の絵は仙台大橋です。この「子規と歩いた宮城」を出版したあとに、文中の「広瀬川をまたぐ澱橋」を描いていますので、こちらに掲載しておきます。(澱橋の絵は、今は嫁いでしまいまして、手元にはありません)

仙台大橋

澱橋

今日はコラボ展をいっしょにやっている藤村みゆきさんを紹介したいと思います。(写真右・人形作家・藤村みゆきさん・写真左アルティオ店長・古山久美子)
藤村さんとの出会いは1997年にさかのぼります。私の初めての個展にお客様としていらしてくださったのが縁の始まりです。それ以降、毎回いらしてくださって、芳名帳に記載される程よく小さめの手書きの署名は今でもリアルに思い出すことができます。

五年前にアルティオをオープンしたときに藤村さんは私に「オープン祝いです」と小さな人形を届けてくれました。その時初めて人形作家さんと知ったのです。人形の造形を見たときに「なんていうデッサン力、表現力だろう」と思ってすぐに「二人展しましょう!」と声をかけたのでした。

藤村さんと話をしていて思うことがあります。それは、どんな状況でも、必ず、運が向くような言葉をくれるということです。話していて、マイナスな話には絶対になりません。創作においても同じです。今回の2人のチャレンジは陶芸制作にまで及びました。お互いに「縫う」、「描く」、で精一杯なスケジューリングであるにもかかわらず、作陶という無茶ぶりを目一杯楽しんでくれたのです。(陶芸指導を引き受けてくれた陶芸家・加藤晋さんのサポートがあってこそでした。ありがとうございました)

明日は「Bungaku Cartoon」3日目。ぜひそんな素敵な作家・藤村みゆきさんと会いに、アルティオ会場にいらしてください。

絵は展示中の古山作品「Lucky Cat ヘミングウェイの猫」

 

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正岡子規「はて知らずの記」を辿る「子規と歩いた宮城」転載連載、続きをアップします。今回は松島を離れ多賀城政庁跡へと歩をすすめます。(先日、「誰か読んでくれているのかしら???」と書いたところ、お読みくださっている方から「読んでますよ」とリアクションをいただきました。ありがとうございます!)

多賀城政庁跡

のぞく目に一千年の風すゞし 子規

 富山観音を下った正岡子規は、再び船上の人となる。塩釜で船を下り、多賀城政庁跡へ先を急ぐ。そして遺跡の傍らに立つ「壺の碑」(つぼのいしぶみ)を前に詠んだのが、今回の句だ。壺の碑とは、西行らによって詠み継がれたみちのく憧憬の歌枕なのだという。


 言うまでもないが、多賀城は、大和の時代、蝦夷(えみし)征伐において朝廷側の拠点となった地だ。対蝦夷戦の前線基地といえば分かりやすいか。そんな時代から時は千年以上過ぎ去った。けれど東北に根を持つ者にとっては、多賀城跡は今なおアイデンティティを問いかけられる場所の一つと思えてならない。


 岩手生まれの私は、この句を歌枕にこの絵を描いたのか?と問われると、答えに詰まる。あえて返すなら、私の歌枕は、丘の向こうに連なる「蝦夷の時代から今につながる名もない人々」だ。


 過去は、時として墓石のような衣をまとう。しかし、何げない風景の向こうに目を凝らすと、キャストとカット割りを変えつつ、今なお繰り返される「歴史」が見え隠れしている。

(絵と文・古山拓)

  

このビジュアルはなんでしょう?よーくみると、実は積み重なった本です。
じつはこのイラストレーションは、仙台文学館とのコラボで描いた水彩イラストです。仙台文学館×古山拓のコラボグッズとして文学館オリジナルポストカード、ブックカバーに使用されています。

今日から始まります「藤村みゆきと古山拓のサンジョルディ企画・BUNGAKU CARTOON展」で、会場の一部に使用されています。店長古山久美子のこだわりの店内飾り付けに使われています。会場でにやっとしてもらえると嬉しいです。

搬入はきれいに決まりました。サンジョルディの日が近づいてきました。アートで本に絡む一週間の始まりです。アトリエアルティオでみなさんの笑顔を楽しみにしています。

 

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正岡子規「はて知らずの記」を辿る「子規と歩いた宮城」転載連載、続きをアップします。(読んでくださっている方、はたしているのかしら???)


富山観音

涼しさのここからも眼にあまりけり  子規

 雄島を訪ねた子規は、その日のうちに松島から船で富山へと向かう。目指すは奥州三観音のひとつ富山観音だ。

 下船後、彼は、地元の子どもの道案内で、小山の頂きにある富山観音への急な坂をひたすら登る。体調芳しくない子規にとって、この行程はかなりの苦行だったにちがいない。

 「はて知らずの記」に、実は「涼し」という言葉が、これでもかというほどに登場する。真夏の旅ゆえ涼を求めたという事もあるだろう。けれど子規の足跡をたどると、病に冒されつつあるからだを風景に癒されたゆえの「こころの静けさ」だったのではないか、と私には思えてならない。

 私が富山を訪れたのも夏の暑い盛りだった。汗だくになって階段を進む。「取材とはいえ、暑い夏は避けた方がよかったな」などと不埒な考えが頭をよぎる。登り切って、富山観音を背に振り返る。と、眼下に広がる松島におもわず息をのんだ。同時に心に吹き渡ったのは、思いもよらぬ一陣の涼風…。

 子規が松島眺望に詠んだ「涼しさ」の 意味を、からだが理解した瞬間だった。

(絵と文・古山拓)

 

 

 

明日に搬入をひかえて、さすがに部屋から一歩も出られません。腰にきますね。いたた。
仙台に巻き起こっている暴風警報はCARTOON警報でもある、、、と思いたいです。


今日の予告編は、開高健のベトナム戦記。こんな感じです。

ラフと色付きプリントを一枚のパネルに入れて展示します。小さいけれど。ラフの鉛筆線の疾走感を楽しんでもらいたいと思っています。

文学からどんな表現ができるのか?テスト版もありますけれど、「こうでなくてはならない」というストッパーを解放することで、発想や表現のヒントをもらえるのがCARTOONのいいところですね。もちろん、定番の水彩表現も展示します。陶芸作品から透明水彩、そして劇画調まで。お客様に「へえ〜、文学をネタに、こんな風に楽しんでもいいんだ」と思ってもらいたいです。

藤村みゆき×古山拓 BUNGAKU CARTOONは17日水曜日スタートです。


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今日の正岡子規「はて知らずの記」をたどる連載は、松島です。舞台となる雄島は、松島の外れにありますが、訪問の価値ありです。

松島・雄島

「細経ぐるりとまはれば石碑ひしひしと並んで木立の如し。」(はて知らずの記より抜粋)

 松島水族館の裏手にあるヨットハーバーを横目に、岩塊をくりぬいたほの暗いアプローチを進む。と、そこに小さな島が浮かんでいる。その昔、修行僧が石庵を結び、死者の魂を鎮め祈ったという、雄島だ。先の大津波で橋が流され、残念ながら原稿を書いている今は渡ることが叶わない。(註;現在は既に修復し渡ることができます)

 塔婆のごとく石碑が林立する島は、まさに祈りの場所だ。子規も訪れているが、記述はわずか二行と「すゞしさを裸にしたり座禅堂」の一句で終わっている。

 私が雄島を訪れる度に思い出す島がある。それは、西の彼方アイルランドのはずれ、大西洋に浮かぶアラン島だ。

 アラン島を旅したのは十年以上まえのことだ。岩盤からなるその島には土が、ない。それでも島民は岩を砕いて海藻を敷き、じゃがいもを育て、荒海へと漁に出る。何もないといえばそれまでの島だ。けれどそこは、無力な人間の「それでも生きる」という、魂の声に満ちていた。

 雄島もしかり。主がいなくなった石窟に吹きつける風が魂の声となって胸に響く。雄島は私にとってのもう一つのアラン島なのかもしれない。

(絵と文・古山拓)

 

 年度がかわります。そして平成がまもなく終わります。
思い返せば、アニメーターの仕事に就いたのが、1986年=昭和61年。三つの元号に渡って絵の仕事をやってきました。
アニメーター時代は1986年〜1989年。ちょうど昭和の終わりです。その三年間は自分の「仕事のために描くスピード」の基礎を作ってくれました。
平成の31年間は印刷広告の仕事にイラストレーターとして携わってきた時代でした。技術的な学びをした時代だったように思えます。
平成の終わりに近づくにつれ、いくつかの絵本や挿絵という新しいジャンルの仕事をするようになってきました。そのことは、「あなたならこの世界をどう見ますか?」と問われはじめている感じがします。新しい元号の時代は、さらに「わたしの現実」を深めていけると、楽しい時代になりそうです。

昨日、東北大学名誉教授・小林文生先生の講座を受けてきました。(先生との縁は、フランスブルターニュを調べていた頃にさかのぼります。昨年、アルティオの「おはなしの部屋△」にもゲストでいらしてくださっています。)
講座の内容は先生の専門、プルーストでした。先生の渡してくれる「はっ」とする言葉の数々。文学から立ち上がる、現実世界の「見方」にどきどきしていました。

「一本の道があり、柵が続き、花が咲いている」という目の前にある風景は、人にどのように認識されるかで「変わってくる」のです。プルーストの表現にかかる講義は、表現芸術に携わる自分にとって、まさしく啓蒙の講義でした。

良きにつけ悪しきにつけ今の自分を創り出してきたのは,それぞれの時代ではなく、日々選択を繰り返してきた自分です。これからさきも未来を作り選んで行くのは自分自身。目の前に現れる日々=風景=事象は私にしか見えない現実です。時代や風潮に流されることなく,自分にしかない道を選んで生きていくことが新しい時代を生きる責任、のように感じました。

今日の絵は、小林先生との縁を繋いでくれたフランスブルターニュの小村の港です。題は「繋留船」。もやいを解いて、新しい時代に臨みたいです。

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正岡子規「はて知らずの記」を辿る辿った自著転載、今回も松島湾。

松島の名勝のひとつ「五大堂」を湾から見て感じたことです。ちなみに水彩画の元になっているクロッキーは船上での鉛筆速描き。そのクロッキーを元に制作しています。

『子規と歩いた宮城』第9回 松島湾・2
涼しさのここを扇のかなめかな   子規

 子規は、櫂こぐ船頭の松島紹介口上を次のようにつづった。

「…舳に当たりたるは観月楼、楼の右にあるは五大堂、楼の後ろに見ゆる杉の林は瑞巌寺なり。瑞巌寺の左に高き建築は観瀾亭、悄々観瀾亭に続きたるが如きは雄島なり。」

 そして船着き場へ接岸。子規は松島上陸の感激を「恍惚として観月楼に上る。」と「はて知らずの記」に記した。

 今回の句は、私が五大堂を船上から見つけた時に思い出した句だ。船で松島に入ると、五大堂や観蘭亭が海原に向かって「正座」していることに気づく。海原が扇なら、門前町松島が要か。海上交通が高速交通の手段だった昔、ランドマークが海へ向かって座しているのは、至極当然だ。陸から見ていたのでは分からない。

 船着き場前の宿に投宿した子規は、通された部屋の障子を開く。と、そこには焦がれていた島々が広がっていた。

 仙台を出て榴岡、塩釜、そして松島へ。子規の長い一日は、さらに門前町散策へと続いていく。
(絵と文・古山拓)

 

 

 

 

神戸の個展『Beyond the Sea』開催まであとひと月半となりました。準備が進んでいます。お世話になっている「日本橋Art.jP」さんが告知を打ち出してくれました。ありがとうございます。

はじめて神戸を訪れたのは、1999年。阪神淡路大震災の傷跡がまだ残っているときでした。物書きをやっていた友人の縁で、仮設居酒屋を営んでいた女将さんを訪ねたのでした。(女将さんは亡くなられました…)当時、長田区を中心に回ったのですが、震災の残滓がさら地とともにまだあちこちに残っていて仮設住宅もまだありました。

 女将さんは仮設に暮らしていました。小さな部屋だったことが記憶に残っています。そして仮設居酒屋では焼酎を飲みました。アテは「神戸のおふくろの味」。翌日、女将さんが通うお好み焼き屋さんに連れて行ってもらいました。ショッピングセンターに入っている店だったと思います。「神戸で一番美味しいのよ!今度神戸来たら必ずきなさい」…店の名前も残念ながら覚えていません、、、はたして、今、場所が分かるかな??

 その後、しばらく訪れる機会が無かったのですが、商工中金のカレンダー仕事の取材で再訪したのが2012年。そして、2015年、とある神戸開催のグループ展に参加したことがきっかけで訪れました。でも、ともに一泊二日の強行軍、あまりゆっくり見ることができませんでした。

 511日からの個展、場所は三ノ宮トアロードにあるトアギャラリーです。今回は一週間の神戸滞在です。個展出張なので日中はギャラリーに詰めなければなりません。それでも朝と夜は神戸を楽しもうと思っています。1999年に訪れた長田区も行ってみたいです。

 はじめての神戸個展ですが、SNSを通じて知り合った神戸や関西の友だちが個展のDMを店においてくれたり、撒いてくれています。ありがとうございます。もし、「置いてあげるよ〜「「配ってあげる」という方、もしいらっしゃいましたらDMを送りますので、どうぞメッセージをくださいませ。

 下にアップした写真は1999年の神戸長田区です。しかし、自分の髪の黒さにびっくりしました。当時連れて行ってくれた物書きの友人に感謝しています。心からありがとう。

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 正岡子規「はて知らずの記」を辿る辿った自著転載、今回は松島湾です。

 『子規と歩いた宮城』第8回 松島湾・1

「涼しさや かもめはなれぬ 杭の先」  子規

  「山やうやうに開きて海遠く広がる。船より見る島々縦に重なり横に続き遠近弁へ難く其数も亦知り難し。一つと見し島の二つになり三つに分かれ…(中略)…我位置の移るを覚えず海の景色の活きて動くやうにぞ見ゆるなる。」(はて知らずの記より)

 塩釜から船上の人となった子規の松島湾描写だ。私も塩釜汽船発着所から乗船し、湾内クルーズとしゃれ込んだ。目指すは子規と同じく松島の船着き場だ。

 太いエンジン音が高まると、汽船は岸壁を離れ湾内に滑り出した。遠くに一つに見えていた島が、進むにつれ二つ三つと分離していく。子規の描写と同じだ。写真では味わえない動的な面白さ。

 私の心をさざめかせたのは、養殖いかだや、湾内に突き立てられた竹の杭(くい)だ。海原と島々が主旋律なら、カモメたちが羽を休めるそれらは対旋律か。

 風光明媚(めいび)なだけではない、波間にのぞく漁民の暮らし。松島湾の魅力は、海に生きる人の力強さと島々のハーモニーだ。子規もまた、それらが奏でる極上の音楽を「見た」に違いない。

(絵と文・古山拓)

 

 

 

 

今日の夕刻、「おひさしぶりです」とアルティオのドアを開けて現れたのは、東北大学に通う学生F君でした。アルティオがオープンしたばかりの5年前、一人暮らしの彼はよくアルティオによってくれていました。ここ数年しばらく顔を見なかったのですが、「今日、大学の卒業式でした。今から就職先の東京に向かうんです。最後にお別れを言いたくて…」

うれしかったです。いろいろ話しているうちにF君の目に涙。「だって…今からもう東京に行っちゃうんですよ。もう会えないかもしれないんですよ。ほんと、ありがとうございました」

ウクレレが趣味でアルティオで弾いて歌ってくれたり、一緒に晩ご飯を食べに行ったり、私たちも良き思い出をもらえました。別れ際、店をあとにすると、見えなくなるまで何度も振り返って手を振って、最後はサムアップして東京に向かいました。F君、ありがとう。

トップ画像は表紙イラストを手がけている、JR東日本「駅長オススメの小さな旅」20194月〜6月号。いよいよ仙台駅にて配布となりました。塩竃神社に咲く塩竈桜がと神社本殿がモチーフです。是非目にしましたらお持ち帰りください。

描くにあたって桜を際立たせるために、バックに彩度の低い補色の緑を配置しています。主役モチーフを描くとき、主役と同じくらいに背景の色合いに気を配っています。奇遇にも、ブログに連載している「子規と歩いた宮城」転載も塩竃神社です。文末に続きをアップします。今回の絵のトーン,ダークですがいろんな想いを描き込んだ絵で、結構好き、です。

『子規と歩いた宮城』第7回 塩竃神社3

  涼しさの 猶有り難き 昔かな  子規

  かつて歌人にとって、塩釜は憧れの地の一つだった。藻塩焼きの神事が歌枕となり、紫式部も塩釜を歌に詠んでいる。子規もまた、神社の眼下にたなびく煙を「塩焼く煙かと見るは汽車汽船の出入りするなり」と記している。


 この描写は、旅人歌人ならではの表現だと思う。塩焼く煙という歌枕と、時代の先端技術が吐き出す黒煙。彼は時代の移り変わりを「はて知らずの記」にさりげなく描写した。

 旅人が前に進むための原動力の一つは、「想像力」だ。今の風景を見つめ、色あせた歳月に思いをはせ、脳内で再生させる。そんなふうに今につながる歴史に血肉を通わせることも、旅の要だと、私は思う。


 「山水は依然たれども見る人は同じからず」(はて知らずの記より)

 子規の塩釜訪問から百余年。塩釜神社の眼下、名をなした歌人たちの焦がれし「山水」が変わらずにあった。

 旅人の想像力はたくましい。子規は明治の塩釜に、はるか平安の時を見た。

(絵と文・古山拓)

 

月曜から「アップまであと二日」のイラストが動いています。季節ふさわしく、春間近のトーンです。
アップしたイラストは過去、プレゼンで採用に至らなかったもの。決定に至るまで当然いくつかの案を出しますが、残念ながら採用にいたらなかったイラストであっても、愛着は採用イラストと変わりません。
逆にますます愛おしくなるものです(笑)

さて、正岡子規の連載、今日は7回目。塩竃神社第二回です。

『子規と歩いた宮城』第7回
「炎天や 木の影ひえる 石だゝみ」  子規

 塩釜神社を私が訪ねた日は、奇しくも七月二九日。子規が明治二六年に塩釜を訪れた日と同じ日だった。仙台駅から仙山線に乗り、本塩釜駅で降りた。子規訪問と同日に塩釜に立つ。気持ちは晴れやかでいいはずだが、そうではなかった。

 なぜなら震災後、津波で打ちのめされた塩釜を訪れたのはその日が初めてだったからだ。

 子規がたどったルートはどれだけの被害に遭ったのか?恐る恐る駅舎を出た。重機の音が響き、作業員が立ち働いている。商店街のあちこちで一階部分がひしゃげていた。千年に一度と言われる津波の爪痕だ。沈む気持ちをねじふせ、子規が訪れた塩釜神社へ向かった。

 境内には和泉三郎忠衡(藤原秀衡の三男、源義経を守った武将)寄進の灯籠が立つ。いわば平泉黄金文化の名残だ。芭蕉が言葉を残し、子規もまた「はて知らずの記」に思いをつづっている。

 思いがけず出会った平泉のはるかな残照に、千年を経て試練に立ち向かう東北人の意気が重なった。灯籠越しに奥を見ると、社殿が静かにたたずんでいた。

(絵と文 古山拓