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#イラストレーション

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銀座個展案内DMをようやく発送しました。一言ずつメッセージを書いていて、終盤あることに気がつき,一気に冷や汗が。

なんと、、、DMに略歴を載せ忘れていました…。

これじゃ,画家がどこに住んでて、どんなヒトなのか、わからない(*_*),いやはや、、、…と嘆いたところで、仕方ありません。所詮絵描きは「ドコノ馬ノ骨」職業。
直感で見ていただき、厳しいご指導をお待ちしています。

一応、以下にプロフィールかいつまんだものです。

#岩手出身です
#寅年・天秤座です。
#仙台の画家です
#無所属です
#独学です
#1962年生まれです
#東北学院大学史学科卒です
#イラストレーター水彩画家です
#おおいにヌケています

今日はお世話になっている「いぶき保育園宮城野」の石井さんから、うれしいことにセパ交流戦=楽天×巨人戦のチケットをプレセントいただき♩コボスタに行ってきました。
残念ながら仙台ホームで楽天は負けてしまったけど、久しぶりの気分転換、楽しかった♩ありがとうございました!


トップと末尾のイラストは、いぶき保育園宮城野さんのアイテムに使用されている私が描いたイラストレーションです。
仙台で保育園お探しの方、「いぶき保育園宮城野」、特大級にオススメいたします。

今日6月1日は、イラストと水彩制作の事務所「古山拓絵画工房ランズエンド」の独立記念日です。
25年の長きに渡って、「描くフリーランス」で食べさせてもらってきました。皆様、ありがとうございます。心より感謝申し上げます。

ところで、フリーランスの語源はヨーロッパの中世の「槍騎兵」にあるということ、ご存知でしたでしょうか。
中世において王や諸侯たちは戦争があると傭兵団を雇いました。そんななか、傭兵団には属さずに単身戦場に臨む槍を持った槍騎兵がいました。当時槍騎兵をlancerと呼んでいました。フリーのランサー。それがフリーランスの語源です。

当時は兵士を指していた「free lancer」が、時代を経て「組織に属さず働く」という意味にかわってきたようです。フリーランスのフリー(英: free)は、“拘束されない”という意味。タダで描くという意味ではありません。(一部Wikipediaによる)

フリーランスが報酬を得るのは、昔から自分が持つ腕だけが頼りだったんですね。ちょっとの油断と腕を磨くのをおこたると、戦場では死が待っていました。今のフリーランスは殺されることは無いにせよ、お客様との縁やスキルをないがしろにすると仕事が無くなります。そういう意味では死と同じかもしれません。

私自身のフリーランス二十五年をふりかえってみると、どん底もあれば、ほどほどのときもあり,討ち死に一歩手前もありました。まさに大波小波。とにもかくにも今まで生き残ってこれたことが最高の叙勲、と、思いたいです。

そんな節目、広告代理店からある広告イラストレーション仕事を発注いただきました。広告代理店でのミーティングルームには、関係者全員が集まっていました。フリーランスのイラストレーターは、いわゆる末端業務。そうないことです。ゆえに気持ちが引き締まりました。まだ明かせませんが、槍ならぬ筆をおもいっきりふるい、今までの経験を最大限に活かしたいとおもいます。今宵は自宅で小さく前勝利を祈って乾杯します。

1994年から25年、今までお仕事をくださった大勢の方々に感謝しています。そして、これからもよろしくお願いいたします。

今日の一枚は、本日独立記念日に(!)有り難くもN様のご自宅へ嫁入りしていった、フランス中部のペルージュの路地を描いた6号水彩作品、「旅路」でした。
25年というトンネルの向こうに何が見えてくるのか?光にあふれた先を信じて頑張っていきたいと思います。

 

 

ふるさと盛岡の中心に、かつて「盛岡バスセンター」がありました。この呼称自体、かなりの時代を感じさせますね。今ならさしずめセントラルバスターミナルとか、バスステーションとか、まあそんなかんじでしょう。ドック式のバス乗り場が連なっていて、どこか郷愁を感じさせる、好きな場所でした。

数年前に「取り壊される」と聞いて、取材に行きました。建物の中は立ち食い蕎麦やがあったり、両親の代から使われていたに違いない椅子が誇らしげなカフェがあったり、まさに昭和でした。

岩手日報社から年二回出版される「北の文学」。その表紙絵を担当していますが、今回はあえて今は無き記憶の風景を描きました。バスセンターです。

イラストを仕上げて送ると、新聞社の担当さんから「よくぞ描いてくれました」との返信が。岩手在住者にとっても、バスセンターはやはり特別な存在だったんですね。

記憶の風景を描くときに,写真の色は意識的に無視します。塗込めるのは心の色。絵だからできることが、そこにあると思っています。

本の表紙イラストはモノクロですが、原画のカラー版も掲載しておきます。私の記憶の盛岡バスセンターです。

盛岡と言えば、来年2020年の川徳デパートでの個展が決まりました。4月下旬、石割桜が咲く時節になりそうです。

 

見えざる何かが導く日って、たしかにあります。

いつも企画展のたびにいらしてくださるお客様が、一人の女性を連れてきてくれました。女性と私は初対面です。

『ランチを食べていたら、仕事仲間の彼女と一緒になってね…。彼女に今から「古山さんのアトリエギャラリーへいくんだ」というと、鞄から古山さんの絵本を取り出してきてさ。こりゃあ、一緒に行かねば、というわけで連れてきたんですよ。ちなみに彼女は絵本セラピスト。宮城県の認定第一号』

その女性がにこにこと鞄から取り出した絵本は,くすのきしげのりさんとの共著「あなたの一日が世界を変える」(PHP研究所)でした。

きくと毎日気になる好きな絵本を持って外出するとのこと。その日に限って「あなたの一日が世界を変える」だったそうです。

その女性が早速SNSにその日のエピソードとしてアップしてくれたのですが、北海道在住の絵本セラピストが偶然にもその記事を目に。その方もこれまた偶然にも仙台にいらしていて、忙しい時間の合間を縫ってアルティオに立ち寄ってくれました。

私が「あなたの一日が世界を変える」の絵を描くきっかけとなったのは、奇遇が過ぎるほどの偶然の重なり合いでした。そして、今また「何か」が絵本から生まれようとしている感じを受けました。

絵本を描くのは、ただ絵を描くのではありません。描かれるのは架空の世界なのですが、私の頭の中では目の前に広がる世界と同じほど、「リアル」なのです。そこまで想像をフィックスさせないと登場人物が動き出してくれません。ある意味、地球の裏側で起こっている=見ることができないけれど確固とある世界=と同じ存在として、私の現実世界には絵本に描かれる世界が存在しているのかもしれません。
そして、何かが起こる必要なタイミングに、目の前の世界に働きかけ、必要な出会いを紡いでくれるようにも思えるのです。

そう考えなければ,今回の絵本セラピストのお二方との出会いは、宝くじに当たるかのごとき奇跡的タイミングのように思えます。

想像の世界であっても、リアルに感じられるならば、現実として目の前にあらわれる、のかもしれません。下の絵は、絵本「あなたの一日が世界を変える」の世界を作り上げるにあたって私が描いた街の俯瞰図です。絵本では見開きに使われています。

そういえば、今日はぶどう畑のイラストラフを描いていました。

これも「あなたの一日が世界を変える」のぶどう畑のページが、なにかのかたちで今に現れてきているのかもしれません。そう考えるだけでワクワクが湧き上る、まさに絵本マジックです。

明日に搬入をひかえて、さすがに部屋から一歩も出られません。腰にきますね。いたた。
仙台に巻き起こっている暴風警報はCARTOON警報でもある、、、と思いたいです。


今日の予告編は、開高健のベトナム戦記。こんな感じです。

ラフと色付きプリントを一枚のパネルに入れて展示します。小さいけれど。ラフの鉛筆線の疾走感を楽しんでもらいたいと思っています。

文学からどんな表現ができるのか?テスト版もありますけれど、「こうでなくてはならない」というストッパーを解放することで、発想や表現のヒントをもらえるのがCARTOONのいいところですね。もちろん、定番の水彩表現も展示します。陶芸作品から透明水彩、そして劇画調まで。お客様に「へえ〜、文学をネタに、こんな風に楽しんでもいいんだ」と思ってもらいたいです。

藤村みゆき×古山拓 BUNGAKU CARTOONは17日水曜日スタートです。


+++
今日の正岡子規「はて知らずの記」をたどる連載は、松島です。舞台となる雄島は、松島の外れにありますが、訪問の価値ありです。

松島・雄島

「細経ぐるりとまはれば石碑ひしひしと並んで木立の如し。」(はて知らずの記より抜粋)

 松島水族館の裏手にあるヨットハーバーを横目に、岩塊をくりぬいたほの暗いアプローチを進む。と、そこに小さな島が浮かんでいる。その昔、修行僧が石庵を結び、死者の魂を鎮め祈ったという、雄島だ。先の大津波で橋が流され、残念ながら原稿を書いている今は渡ることが叶わない。(註;現在は既に修復し渡ることができます)

 塔婆のごとく石碑が林立する島は、まさに祈りの場所だ。子規も訪れているが、記述はわずか二行と「すゞしさを裸にしたり座禅堂」の一句で終わっている。

 私が雄島を訪れる度に思い出す島がある。それは、西の彼方アイルランドのはずれ、大西洋に浮かぶアラン島だ。

 アラン島を旅したのは十年以上まえのことだ。岩盤からなるその島には土が、ない。それでも島民は岩を砕いて海藻を敷き、じゃがいもを育て、荒海へと漁に出る。何もないといえばそれまでの島だ。けれどそこは、無力な人間の「それでも生きる」という、魂の声に満ちていた。

 雄島もしかり。主がいなくなった石窟に吹きつける風が魂の声となって胸に響く。雄島は私にとってのもう一つのアラン島なのかもしれない。

(絵と文・古山拓)

 

17日からはじまるBungaku Cartoon展への出品作を二点ご紹介です。フライングですが、複葉機につきフライングご容赦ください。この二点は、サンテグジュペリからの想像で描いた水彩イラストです。Potez 25(冒頭イラスト)とBreguet 14。

ブレゲー 14(Breguet 14)は第一次世界大戦におけるフランスの爆撃機。ポテーズ 25は複葉機。郵便飛行機としても使われたもの。

星の王子様がもっとも読まれていると思います。が,ご本人のイラストが素晴らしすぎるので、あえて今回の企画展では、私はサンテグジュペリのヒコーキものに敬意を表して二枚羽根複葉機を描きました。

資料写真を集めてからデッサンし直し、オリジナルの構図で描いています。「このアングルだとこう見えるはず!」と、私の脳内CGです。コンピューターには敵わないけど(笑)ヒコーキはプロペラ付きまでが描いていて楽しいですね。

以前、とある空撮のロケハン仕事でセスナ機に搭乗したことがありました。機体が小さいゆえでしょうか、飛行機が「空気という固まりの上を切り裂き滑って行く」感覚を体感できたのが印象的でした。

(Breguet 14)

++++

子規の「はて知らずの記」を辿るエッセイ転載、続きを記します(原本は拙著「子規と歩いた宮城」)。   今日は松島五大堂です。

『子規と歩いた宮城』第11回 松島・五大堂

すゞしさや島から島へ橋つたひ   子規

 瑞巌寺山門前の宿に荷物をおろした子規が、最初に訪れた場所は観瀾亭だ。秀吉が政宗に与えた茶室が移築されたものだと「はて知らずの記」にガイドブックさながらに記されている。

 子規憧れの地だ。松島を歩き始めた彼の高揚感は紀行文にも現れている。観瀾亭に言及するボリュームからは、感激した様子が十二分にうかがえる。観瀾亭で島影を眺めたのち、彼は瑞巌寺、そして五大堂へと歩を進める。

 松島が日帰り圏の距離に住む私は、何度もこの名勝を訪れ、放つ魅力を楽しんできたつもりだ。けれど、今回の松島行は何かが違っていた。子規のつづった紀行文をたどりながら訪ねた松島は、まるで、彼の網膜に時を超えてアクセスしているような、そんな感覚だった。子規の目に入り込む感じと言えば分かりやすいだろうか。

 気が付くと五大堂を前に、かばんから鉛筆を取り出していた。

 「子規の目線を描く松島も面白いな」。彼が句に詠んだ欄干の赤い弧を捉えながら、そんなことを思っていた。

(絵と文・古山拓)

 

絵本「交響曲『第九』歓びよ未来へ!』くすのきしげのり・作/古山拓・絵/PHP研究所
交響曲第九のアジア初演に関わる奇跡のようなエピソードを一冊の絵本に。2018年6月、第九初演百周年にあわせての記念出版。

 

JR東日本「駅長オススメの小さな旅」表紙イラスト

パンフレット表紙/塩竃神社と塩竈桜・使用画材透明水彩

JR東日本駅長オススメ小さな旅パンフレット表紙水彩イラスト

M・I・A
ときいて、「作戦行動中行方不明者」とぽんと出てくる人は、よっぽどの映画好きか、軍のことを知っている人でしょう。そんなタイトルの映画が昔ありました。missing in actionの略です。作戦中に行方不明になった兵士をそう言うらしいです。

東北学院大学(以下TG)を卒業して、しばらく私はM・I・A状態でした。バブル最盛期でしたが、仕事は不況どん底のアニメ業界。原画マンというほぼ日雇い状態の就労環境から、いくつかの会社を点々。住まいも変わり、当然行方不明者になっていました。よく今も「当時はM・I・Aでしたから」とつい言ってしまいますが、たいがいポカンとされます。(当たり前だ)

フリーランスイラストレーターとして、TGの学校案内の仕事なども何回かやっているのですが、そこは末端フリーランスの悲哀、名前が母校に伝わるはずもありません。母校と再度結びついたのは,広告代理店の営業K氏が私がTG出身者ということを知っていたからです。文学部を出て絵描きになっているという希少価値?が縁を呼び、TG・OB会報誌の仕事がその時はじまりました。震災前のことです。

このたびTG教養学部が設立30周年を迎え、一昨日の土曜日に紅陽グランドホテルで記念行事がありました。有り難くもお招きいただき、参列してきましたが、私が卒業したのは文学部史学科。それも35年以上前。盛大な式典でしたが知る人は学校関係者しかおらず、なんだか不思議な感じでした。

帰り際にわたされた記念品の中に、私が手がけたイラストを用いたクリアファイルが入っていました。
教養部の方が、気を効かせプロフィールまで作り同封してくれました。M・I・Aからなんとか生還した証として大切に使わせていただきます。このファイルが何かの縁に繋がることを信じています。ありがとうございました。

 

「外国人向けに日本語をわかりやすく伝えたい。理解を促すイラストは柔らかく、シーンをしっかり捉えた絵にしてほしい。」
そんなオーダーでえがいた今日アップしたイラストは、某大学の教育コンテンツ用のイラストです。

今年も同じコンテンツの仕事が動いています。今回もシーンを効果的に見せるのが第一目的。アート作品とは違い、イラスト本来の姿ですね。

個展では自分の世界を描き出しますが、解説イラストはあくまで主役の文を助ける脇役。描き方も発想もアングル構成も全然異なります。色合い、背景のトーンも最適なものを考えて気を配ります。たぶん見る方はそこまで読み取らないと思いますが。。。

「最適な構図・最善のアングル」を考えて描く。描きはじめはああでもないこうでもないと模索しますが、決まったときは快感です。その気持ちよさがあるからイラストレーターをやっているのかもしれません。