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わたしは、その昔、何を間違ったか「学芸員資格」をとりました。ですが、35年前の当時、おおかたの博物館の門は閉ざされており、想い叶わず紆余曲折、今に至ります。…まあ、たいした想いでもなかったのでしょう。そんな宝と思っていた資格も持ち腐れて、もはや分解され土に還っています。

当時同級生で、その憧れた道に進んだ友人が、2人だけいます。彼らはすごい。ひとりが仙台土樋にある共生福祉会福島美術館で学芸員をしているOさんです。同じゼミだったのが縁で、いままで何度か福島美術館でのイベントや展示で作品がお世話になりました。

残念なことに、同館は今年をもって閉館が決定。彼女はそう告げつつ、私にこう振りました。
「タクチャン、記念に?廊下壁面にラクガキを描いてくれない?」

そんないきさつで昨日、美術館三階廊下にドローイングをしてきました。

当初は墨一色で「ラクガキ」のつもりでしたが、廊下に道具を広げ、壁の前に立つと、気がかわった。

「絵の具で描こう」。

その気持ちの変化に、学芸員になれなかった悔しさが、まったく無かったか?と言えばウソになる。
描きあげた絵のタイトルは「美術館からの眺め」。所要時間45分。
以前、美術館からは広瀬川と対岸の大年寺山が見ることができました。その風景を思い出しながら描いた作品です。

建物自体、取り壊されてしまうと聞いています。
学芸員になれなかった絵描きが、なくなってしまう美術館壁面に描く、、、ちょっと切ない仕事でした。

  

盛岡個展で嫁ぎ先が決まった絵を、お客様のご自宅へ届けてきました。アトリエアルティオご近所にお住まいのお客様が仙台からわざわざいらしてくださったので、百貨店からの配送ではなく、私が納品してきた次第です。

マンションの高層階にあるお客様宅は,杜の都仙台の青葉山を見おろす立地、眺望最高でした。壁にはピクチャーレールがついていたので、位置取りもしやすくあっという間に終了。さておいとましよう、と思って「では、、、」と言いかけた時、「お昼ご飯を準備したので召し上がっていってください」

恐縮しつつ、それでも美味しく、楽しい会話でお昼をごちそうになってしまいました。

食後、コーヒーをいただいたのですが、ティースプーンがデザイン、文様とも独特でした。思わず「これは、どこのものですか?素敵ですね」と言ったところ、「オスマントルコ時代のもので、気に入って手に入れたのです。いままでこのスプーンで出しても気にかけてもらったことが無いので、うれしいわあ」

ティースプーンのトルコ文様から、話はますます弾み、ケルト文様、ケルトの妖精の話、遠野物語まで会話のキャッチボールはスピードアップ、うれしい納品の午後でした。

 

東北通信情報懇談会の会報誌「メルカート」の最新号が手元に届きました。背表紙に「旅絵」と題した水彩画とエッセイを担当して6回目。今回は秋田・由利本荘市の鳥海山を題材にしています。

今まで絵とエッセイの仕事をいただいてきましたが、メルカートは東北全域をテーマにしています。取材旅の合間にこころに舞い降りたキーワードから、自分の内側を振り返ることができて、とてもありがたい仕事のひとつです。

テキストも下記に紹介します。ご笑覧ください。

 * * *

菜の花畑へ-鳥海山

 わたしは小学生の頃、岩手の二戸という町にすんでいた。家は町はずれだった。当時、東北本線がすぐそばを走り、線路の向こうには急斜面の山が壁のように立っていた。列車が通るとゴトンゴトンとレールの音が山肌に反射し聞こえてきた。そのたびに「あの山の向こうはどんな風景なのだろう?」と思っていた。

 山を登りきり、稜線から向う側を見たい。その想いは結局叶わず、数年で転校することになった。登山家や冒険家なら、そんな体験が原体験の一つなったと言っても格好がつくが、残念ながらわたしはそのどちらでもない。山に登る習慣のない自分ではあるけれど、それでもその存在の強さはわかるような気がする。

山はただそこにあるだけだ。しかし、麓や周囲に暮らす人にとって、その姿は目に見えない心の盾だ。特に住み慣れた場所を離れた時に、その盾の強さは強靭となる。

 今回の絵は春の鳥海山。山形側、秋田側それぞれで違った稜線を見せてくれる。何度旅しても深呼吸をしたくなる山だ。

 何気なく山なみを眺め、息を吸う。そうすることで心の楯の厚みが少しずつ増して行く。二戸で見ていた名も知らぬ山もまた自分に大きな何かをくれているのではないか。

 この絵の菜の花畑は、由利本荘側から登った桃野という地区に広がっている。

(絵と文・古山拓)

 

 

 

「交響曲「第九」 歓びよ未来へ! 板東俘虜収容所 奇跡の物語」(くすのきしげのり・作/古山拓・絵/PHP研究所)が先週、出版されました。

「あなたの一日が世界を変える」に続いて、くすのき先生とPHP研究所さんからお声掛けいただいた絵本です。体裁は全作に準じ、第二弾的あつかいです。

ベートーベンの第九がアジアで初めて歌われたのは、100年前の徳島板東俘虜収容所でした。(わたしも初めて知りました)

当時の収容所長が会津若松出身。戊辰戦争での敗北で敗軍の兵士達の気持ちをわかっていたことから手厚くドイツ兵捕虜達を迎え、捕虜達が感謝の気持ちを第九演奏に託したのがはじまり。そのエピソードを、小学生の女の子が知っていくという筋立てです。

今は年末恒例となった第九演奏、そのはじまりが戦争の傷跡と友情。信頼だったとは。。。私は岩手出身でアトリエを仙台に構えていますので、東北出身の収容所長の存在にはことさらに特別な感情がありました。平和と国境を越えた友情への祈りを込めて、描きました。

制作は現地取材はもちろんのこと、くすのき先生、編集担当者様と膝を交えてベストな表現を練り、描き上げました。(モノトーンの絵は見返しです)

私は何度か書いてきましたが、絵を学ばずに歴史を学んだ人間です。(絵は独学)今回の制作には、そのことが大きく役立ちました。

歴史は教科書に載っている有名な人たちが作っていくのではなく、名も無い人々が織り上げていくものなのです。板東から世界にひろがった第九演奏は、まさにそのことを証明しています。

おかげさまで書店発売と同時に重版が決定、初版はもう手に入らないのかな。アルティオでは20冊ほどあります。アルティオ取扱い分は、わたしのサインを入れています。ぜひ、書店で、アルティオでお求めください。

 

 

「海画展〜記憶の三陸風景展〜」も本日最終日となりました。午後4時まであけていますので、どうぞふらっとお立ち寄りください。

1月から月代わりで好きな「海」と「船」と「物語」。好きなモチーフに楽しんで向き合えた企画でした。
かようなわがままな企画に毎月ご来場くださったみなさま、本当にありがとうございました!
(カフェトムテ展示・バレアリックコーヒーロースター展示・一番町開国屋展示は今月いっぱい展示しています)

NHK仙台放送局ロビーで開催中の「ふるさと未来への記憶〜震災伝承プロジェクト」も明日21日まで。
私の制作風景が、とってもキレイな映像で流れています。(感謝です!)
なにかのついで、足をお運びください。

 

あの日から7年後の311企画。「海画展」はそんな想いで企画した展示です。
明日、その3月11日を迎えます。トップ絵は震災前の気仙沼。港の対岸、造船所がありました。そのあたり。

「海の物語から描く」
「船を描く」
「震災前のスケッチから描く」
と三つのテーマで3ヶ月のロングラン展覧会にチャレンジしてきました。

あらためて思ったことは、「海を描く」ということは、「海に関わる海以外のもの」を描く、ということでもあるのです。
なんだか、光を描こうとするときに、自ずと影を描かなければならないということに通じるな、、、なんて常に思いながらの制作でした。

正直に言います。いろいろな事情が重なり、今回ほど気持ちが大変な展覧会はありませんでした。興行成績的には成功とは言いがたい数字でしょう。はっきり言えば持ち出しばかりの赤字興行です。
だけど、明日3月11日を目前にして、やった意義はおおいにあった、と思いたい。
なぜなら、この企画をもって私の中では海と震災に一区切りつけることができたから。

何を得たか?
それは数年経ってわかること。今はなにもわかりません。
いえることは,我流絵描き・イラストレーターとして這ってきた自分にしかできない表現をしたということ。

昨晩、企画の屋台骨のひとつ、シンガーソングライター「苫米地サトロライブ」が素敵なかたちで終わりました。
友人である彼の大好きな歌に「青空」があります。
彼が震災の応援ソングとして作った歌です。
昨日の彼の歌とリズムを刻むステップには、鬼気迫るものがありました。

その歌詞から引用で、明日にたむけたいとおもいます。

  *  *  *
泣きながら行け 泣かないって決めるな
迷いながら行け 泣かないって決めるな
震えながら行け 泣かないって決めるな
泣きながら行け 泣きながら行け 泣きながら行こうぜ
逃げないって決めたなら

サトロ君、ありがとう。

荒れている海は、きらめく海以上に立ち止まってしまう。

この水彩画「雪風」の元になったスケッチ素描は岩手のリアスの海辺であることは確かだけれど、どこだったかいまとなってはわからない。

憶えているのは、強風が吹きすさんでいた、ということ、そして風にあがなうようにカモメ達が空に舞っていたということだ。雪は決してふっていなかった。私の場合、素描を元に風景画を描き始めると、心の中では雪が舞い、時間が夕刻へと近づき、漁村に光がともってくれていた。絵描きはことほどさようにウソをつく。

美しい海辺ももちろん魅力だけれど、荒海にあがなうように暮らし続けた漁村の体温もまた愛おしいのだ。こんな漁村が三陸にはいくつもあった。それが根こそぎ失われた2011年3月11日。そのことが時間が経つほどにくやしいので、アルティオで発表する。

決して上手い絵でも美しい絵でもないことは百も承知だ。でもそれが、イラストレーターと画家、この両方を行き来して「描くことで食う」という路上生活者スレスレの生き方を決めた自分を支えてくれている、多くのクライアントや嫁がせていただいたお客様への矜持だともおもっている。

NHK仙台放送局が掲げている、「震災伝承プロジェクト〜ふるさと未来への記憶」第二期展示が局の一階エントランススペースではじまりました。
取材をうけた私のクリップも流れています。ぜひごらんください。

 

 

今日のフネ図鑑展からのフネ紹介は、マルタの漁船です。
地中海のヘソあるマルタ共和国。いくつかの小島からなる国です。十字軍が遠征していたその昔、十字軍の本拠地だったこともあるようで、歴史的、地理的な要因もあるのでしょう。固有の文化をもっています。

フネのかたちも独特です。ヘサキとトモはすとんと垂直、そしてカラーリングが独特なのです。青、赤、黄色で目が覚めるよう。独特なのは小さな漁船でも舳先に目が描かれていること。

これは、フェニキア人が昔から守護神としてあがめていた「オシリスの目」ということです。古代エジプトの神様の一人ですね。先日紹介した古代ギリシャの軍船の舳先にも描かれています。地中海世界の航海の守り神だったのでしょう。

旅先でオシリスの目を見たときにまっさきに思い浮かんだのが古代ギリシアの三段櫂船でした。二千年余たっても、自然に糧をもとめる人々の自然への畏怖の念は変わらない、ということですね。

展示中のマルタの漁船の絵は二点ありますが、今日はリヤビューからの一点をアップします。トップにサムネイル表示されている絵は、2005年頃の個展で発表したマルタの港の風景でした。

 

今日は青葉アートスクールの冬季講座、岩手の雪景色を描いてもらいました。水彩で雪を描くということは、紙の白地を残すということです。影の色はグレイではなくあちこちの色が反映している、と、実例ふまえて伝えましたが、みなさん、わかってくださったようでうれしかったです。

さて、アルティオ展示継続中の「フネ図鑑」から今日は水彩で描いた「ブルターニュのヨット」です。

彼女(フネは女性名詞です)と出会ったのは、フランスブルターニュ半島の小さな港町でした。カンペールから路線バスを乗り継いで1時間弱くらいだったと思います。カンペールに宿を取ろうと思ったら、どこも満室。運良く部屋を予約できた町が、港町ラフォーレフーナンでした。

港には小さな漁船やヨットがもやわれていましたが、目を引いたのはそのペインティングの色合いです。

描いたヨットに使われていた色は、パープル(!)にグリーン(!!)ですよ…。この「反対色」をみごとに塗り分けるフランス・ブルターニュ人のセンスに脱帽でした。

ちなみに使っている透明水彩絵の具は、フランスのセヌリエ(Sennerier)。保湿力が高さが、私の描き方(混色)にちょうどいいのです。

作品サイズ11㎝×23.5㎝ ¥37500(税込)

 

ところでブルターニュはケルト文化の薫り高い地方です。
私のブルターニュ旅は、好きなケルト文化の薫りを求めて、の旅でした。

流れ行き着いたラフォーレフーナンでは、とんでもないサプライズがまっていたのです。

宿も取れず意気消沈した私たち(妻と子供同行のバックパックの旅でした)が、名も知らぬ町に流れ着いたその日、町の広場で偶然「ケルト音楽祭」が開催されていたのでした。
神様は行くべきところへ導いてくれるのだ、と、確信をもった日でした。

アルティオの語源は古代ケルト語で「クマの女神」です。仙台でケルト語を店名に使っているショップは、ごくごく少数、あっても数えるほどかと思います。ブルターニュケルトの「旅の導き」をお客様にバトンリレーできればいいな、と思っています。