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岩沼市民図書館での「海の見える丘&子規と歩いた宮城」原画&コンセプトスケッチ展と講演「なりたい自分になる」に向けて、仕込みが始まっています。

思い返せば、1月。倉敷の「つづきの絵本屋」さんで「海の見える丘」原画展が開催され、くすのきしげのり先生とのトークがありました。また、3月には仙台藤崎での311メモリアル企画で「子規と歩いた宮城」の原画を一部展示しました。

いつも思うことなのですが、何かを為して、そこで終わるという感覚がありません。イベントや個展が終わっても、閉じた瞬間に、為したコトは先の未来の「どこか」へつながっている感覚があります。

今日は講演原稿のチェックをしていたのですが、あらためてその感覚は自分の進み方の指針になっているんだな、と感じました。

一見マイナスに思える出来事でさえも、素晴らしい喜びへの布石だったり、ありえないような出会いへの曲がり角だったりします。というか、そう考えるクセが染みついているのかもしれません。そしてその体験が水彩という自分のツールで形になっていくように思えます。

大阪9日間の旅先から仙台に帰り、いわゆる日常に戻ったわけですが、この日常の一つ一つがずっと先のどこかにつながっているんだ、と思うと描く筆と絵の具が楽しく笑うから不思議です。

倉敷「つづきの絵本屋」〜仙台藤崎「311メモリアル」〜そして大阪。それらの旅はニューロンのように繋がって、新しい世界を作り出していくんだろうな。

そんなことを思っていたら、半年後新年の話が舞い込んできました。現実とは、あたかもこうして織りなされていくオートマティックなタペストリー。翻って水彩画を発表し続けることは、明日を描き出すことなんだな。地球の裏側から世界の果てまですべては見えない糸でつながっていて、無駄な糸は一本もないんだなあ。。。u~~~mm..what a wonderful world♪

 

水彩画は「ふたり」。スコットランドハイランド地方のグレンコー付近です。スケッチしている傍ら、カップルが手を繋いで坂を駆け下りていきました。

 

 

 

 

 

 

「美しい風景に対峙して感動した時、瞑想と同じ効果がある」

とある本に書かれていたことです。

なるほど、と思いました。

取材であちこち歩いてきましたが、感動があって立ち止まるわけです。で、おもむろに鉛筆を走らせる。

観光地とは違う、平々凡々としたところでも、よく立ち止まります。他の人が描く姿を見かけても、「なんでこんなところで描いているんだろうな?」と思うような場所も多々だと思います。

その時、共通する感覚があります。「向き合っている自然に描く自分が溶けて行く」感覚です。その感覚が本に書かれていた瞑想に近いものなのかも知れません。

果たしてそれが正しいかどうかは分かりません。が、本を読んだとき、描くことで瞑想しているなら、なんだかトクしているな、って思いました(笑)

今日の絵は、岩手の奥羽山系の裾野です。少し瞑想が過ぎたせいか、若干フィクションも加えていますが、それは絵空事、お許しください。

ウェブ個展ギャラリーを作りました。こちらです。お時間ありましたら、、、

「この塔は茨の冠をかぶっているイエスキリストのようだ…」
それがはじめて原爆ドームを見たときに胸にわきあがってきた言葉でした。その時、スケッチブックを広げているわたしの回りには外国人観光客が静かに立ち、皆、無言で塔を見上げていました。言葉にならない哀しみや切なさ。一瞬で奪われた幾多の命の叫びのようなものが、私や彼らの胸を通り過ぎて行くのが「見え」ました。

今年もイタリアファブリアーノで開催された国際水彩展覧会に日本チームの一人として参加しました。そのイタリア出品のために描いたのが、その時の取材から生み出した原爆ドームを描いた「茨の塔」です。

過去三回出品していますが、過去二回は日本の東北風景水彩画を送っていました。津軽の漁村や遠野の雪景色です。三回目となる2019年参加にあたって、取材し胸をどつかれた、「原爆の証人」を描くしかない、と思ったのでした。

せんだってこの絵は、心ある方が「飾る意義がある絵」と所蔵してくださいました。それも来客が目にする施設の応接室に架けます、と。

アウシュビッツ、ベルリンの壁とそんな戦跡や歴史の証人を、現場で見てきました。そんな自分にとって、原爆ドームを見た以上、とにかく難産であっても生み出さなければならなかった絵が「茨の塔」だったと思っています。

絵はアトリエの隅で箱の中にしまわれていたのでは悲しい。誰かの目に触れてこそ生きるものだと思っています。
ありがとうございます。



「ホントだ、まだ、なにも建っていませんね」
「そうなんです。だから古山さんのイメージで、水彩ふわっとイラスト、おねがいします。」

仙台西部に「錦ヶ丘」という住宅地があります。新しい街区が誕生するにあたり、取材で訪れたときの会話です。

不動産関係の広告イラストは過去ずいぶん手がけてきましたが、CGやドローンの登場で、最近は静かでした。CGイラストでもドローン撮影でもカバーできない絵を描くのも,イラストレーターのスキルのひとつです。

ドローン撮影の資料写真はいただけますが、あくまでそれは参考資料でしかありません。イラストとして「どうみせるか?」
イラストレーターのスキルのひとつは、想像力なのです。

今日から錦ヶ丘では新街区の「まちびらき住宅祭」があります。
どうぞ、家族で楽しんでもらえると嬉しいです。

ありがたいことにビジュアル作家としても紹介していただきました。
イラストが使われている錦ヶ丘「星と虹のコリーヌ」の紹介サイトはこちらです。
https://www.nishiki-estate.co.jp/colline/

筆は、描く仕事の必需品です。筆一本で制作のはかどり方が違います。そんなわけで、私が使っている筆を紹介します。あ、そんなに高価な筆は使っていませんよ。
普段使っているのは、写真の筆です。カランダッシュの混毛赤軸や、青葉画荘オリジナルのコリンスキーなどです。(青葉画荘のこの筆は、素材の割に低価格で良心的な筆でしたが、コリンスキー高騰につき、残念ながら絶版になってしまいました。)



そんななかでお気に入りの筆に、友人イラストレーターS氏からいただいた筆があります。スペイン・ピカソ美術館のお土産です。(トップ画像)
ミュージアムグッズですからセーブルやコリンスキーではなく、多分ナイロンだと思います。
ところがです、これが途方もなく(!)使いやすいのです。
今まで使ってきた筆の中で、三指に入ります。

いただいて2年、ナイロンとは思えない水の含みと穂先のそろい方で、まだまだいける。
ミュージアムグッズでこの品質。ヨーロピアンブラシ、おそるべしです。
ダメになったら…変わりがありません…。スペインまで行くしかないか。。。誰かピカソ美術館に行く方いれば、まとめ買いお願いしよう(笑

 

 

 

共時性、というんでしょうか、立て続けに同じ話題が異なる方向からやって来ることが多々あります。
昨日のこと、それは宮沢賢治でした。

こう書くと「おっ!きたな!アヤシイぞ、こいつ!」と思う方も居るかもしれませんが、別にスピリチュアルな画風を売りにしているイラストレーターではありませんし、ましてやなにかこう、カリスマをプンプンにおわせる画家でもありません。
それでもそういう体験が結構多い。いわんや目に見えない思考の磁場みたいなものってあるんじゃないかな、と思いたくなります。

昨日は宮沢賢治がらみのイラスト仕事をしていたのですが、ただ描くだけではなく今後の宮沢賢治作品の展開を考えていました。すると夜、一本のメールが。それは小学校の同級生からの「今、銀河鉄道の夜を読んでいるけど、すごい物語だね」という内容でした。心の中では、「おいおい、、今日は一体どういう日なんだ、、、。『賢治の絵をもっと描け』と言われているような、、、。」

そんなわけで、賢治絡みの絵をアップします。
水彩画は、故郷岩手の北部、岩手町郊外で出合った風景です。雪原に立つ一本の木を見た瞬間、思わず「又三郎だ」とつぶやいていました。タイトルは「風の少年」。1号程度の小品です(お客様の御宅の壁に嫁入りしています-個人蔵)

風の向くまま、なんていいますが、日々繰り返される共時性から「あらたな道筋」を考えるならば、意外にも風に乗ることができるかもしれません。get on the wind(…..とおもって生きています^_^まだ乗れてないけど)

まだ暑い日が続いています。
一筆雪景献上かしこ。

 



灯台1.ヘルシンキの灯台

今日6月1日は、イラストと水彩制作の事務所「古山拓絵画工房ランズエンド」の独立記念日です。
25年の長きに渡って、「描くフリーランス」で食べさせてもらってきました。皆様、ありがとうございます。心より感謝申し上げます。

ところで、フリーランスの語源はヨーロッパの中世の「槍騎兵」にあるということ、ご存知でしたでしょうか。
中世において王や諸侯たちは戦争があると傭兵団を雇いました。そんななか、傭兵団には属さずに単身戦場に臨む槍を持った槍騎兵がいました。当時槍騎兵をlancerと呼んでいました。フリーのランサー。それがフリーランスの語源です。

当時は兵士を指していた「free lancer」が、時代を経て「組織に属さず働く」という意味にかわってきたようです。フリーランスのフリー(英: free)は、“拘束されない”という意味。タダで描くという意味ではありません。(一部Wikipediaによる)

フリーランスが報酬を得るのは、昔から自分が持つ腕だけが頼りだったんですね。ちょっとの油断と腕を磨くのをおこたると、戦場では死が待っていました。今のフリーランスは殺されることは無いにせよ、お客様との縁やスキルをないがしろにすると仕事が無くなります。そういう意味では死と同じかもしれません。

私自身のフリーランス二十五年をふりかえってみると、どん底もあれば、ほどほどのときもあり,討ち死に一歩手前もありました。まさに大波小波。とにもかくにも今まで生き残ってこれたことが最高の叙勲、と、思いたいです。

そんな節目、広告代理店からある広告イラストレーション仕事を発注いただきました。広告代理店でのミーティングルームには、関係者全員が集まっていました。フリーランスのイラストレーターは、いわゆる末端業務。そうないことです。ゆえに気持ちが引き締まりました。まだ明かせませんが、槍ならぬ筆をおもいっきりふるい、今までの経験を最大限に活かしたいとおもいます。今宵は自宅で小さく前勝利を祈って乾杯します。

1994年から25年、今までお仕事をくださった大勢の方々に感謝しています。そして、これからもよろしくお願いいたします。

今日の一枚は、本日独立記念日に(!)有り難くもN様のご自宅へ嫁入りしていった、フランス中部のペルージュの路地を描いた6号水彩作品、「旅路」でした。
25年というトンネルの向こうに何が見えてくるのか?光にあふれた先を信じて頑張っていきたいと思います。

 

 

ふるさと盛岡の中心に、かつて「盛岡バスセンター」がありました。この呼称自体、かなりの時代を感じさせますね。今ならさしずめセントラルバスターミナルとか、バスステーションとか、まあそんなかんじでしょう。ドック式のバス乗り場が連なっていて、どこか郷愁を感じさせる、好きな場所でした。

数年前に「取り壊される」と聞いて、取材に行きました。建物の中は立ち食い蕎麦やがあったり、両親の代から使われていたに違いない椅子が誇らしげなカフェがあったり、まさに昭和でした。

岩手日報社から年二回出版される「北の文学」。その表紙絵を担当していますが、今回はあえて今は無き記憶の風景を描きました。バスセンターです。

イラストを仕上げて送ると、新聞社の担当さんから「よくぞ描いてくれました」との返信が。岩手在住者にとっても、バスセンターはやはり特別な存在だったんですね。

記憶の風景を描くときに,写真の色は意識的に無視します。塗込めるのは心の色。絵だからできることが、そこにあると思っています。

本の表紙イラストはモノクロですが、原画のカラー版も掲載しておきます。私の記憶の盛岡バスセンターです。

盛岡と言えば、来年2020年の川徳デパートでの個展が決まりました。4月下旬、石割桜が咲く時節になりそうです。

 

それは強く優しい書でした。末尾に私が恥ずかしながら蓮の絵を描かせていただいた作品です。揮毫したのは書家、菅原紫雲先生です。冒頭スナップは、メディアテークで開催中の「2019みやぎを魅せる書展」(8日最終日)で先生とご一緒した写真です。

紫雲先生との出会いは10年前にさかのぼります。私とガラス作家、染織作家の三人で仙台・森民酒造酒造本家の酒蔵を借り切って「広瀬川美術蔵」なるアートイベントを開催ました。その会場にいらしてくださったのが縁のはじまりです。
宮城の銘酒のひとつ「伯楽星」の題字を書かれた先生です。「ああ!あのラベルの書!」とうなずく方も多いでしょう。

アルティオギャラリーに何度もいらしてくださっているのですが、二ヶ月ほど前、「相談があります」と立ち寄られました。聞くと障がいをもったお兄様を亡くされたこと、そしてお兄様への思いを書に表現したい。最後に私に蓮を一輪描き込んでほしい。そんな重量のある依頼でした。

アルティオに持ち込まれた和紙には、すでに亡きお兄様への想いが、障がいをもった人々への感謝の言葉とともに愛情にあふれた筆致で刻まれていました。書き上げられた言葉を丁寧に読み上げながら「最後の空白。ここに蓮をお願いします。」

残された余白に描く、、、。躊躇しなかったといえば嘘になります。何度も描いた中からよくできた一枚を選ぶのではありません。一回で描き切らなければなりません。失敗は許されない。
筆を入れる日、こんな私であっても心を鎮めることから入りました。(もちろん事前に鉛筆ドローイングと打ち込みならぬ描き込みを繰り返しています)あとは一気。

お渡しした日からひと月ほどが過ぎ、そして今日。紫雲先生の大作は、障がい者を長いあいだ看取ってきた方にしか表現し得ない「静謐なる感謝」を光とともに放っていました。そんな紫雲先生だからこそ、わたしのようなアウトサイダーを優しくも受け入れてくれたのだと思います。あり得ない機会をいただきありがとうございました。
先生の作品写真をアップします。ぜひ、揮毫された内容をご一読ください。
「2019みやぎを魅せる書展」は8日が最終日です。

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正岡子規「はて知らずの記」を辿る連載は,偶然にも私と縁のある、もう一人の書家との交流にも触れていました…。予定調和でしょうか?不思議な感じです。今回子規の足跡に訪ねた場所は、仙台・国見です。

書家伊藤康子さんとの合作もアップします。同じ場所に取材した、全く違う水彩と墨絵をお楽しみください。

 仙台・国見
夕立の 見るゝゝ 山を下りけり  子規

 実は私はこの句をもとに、書家と一つの作品を共作したことがある。私が墨画を描き、同じ紙に書家が子規の句を揮ごうした。この共作で私は、作家がお互いの心の深い領域まで踏み込まないと作品にならない、という貴重な経験をさせてもらった。もっとも作品が完成したのは、私の稚拙さを、書家が鷹揚に構え補ってくれたからに他ならない。

 何を言いたいかというと、表現者のキャッチボールで生まれる化学反応の面白さだ。正岡子規は、国見の南山閣にて、歌人鮎貝槐園(かいえん)といくつもの歌詠みを交わす。子規が「涼しさのはてより出たり海の月」と詠むと、同じ心を槐園は次のように返したという。

 はたゝかみ遠くひゝきて波のほの月よりはるゝ夕立の雨  槐園

 文人が集った南山閣には、きらめくような言葉の化学反応が起こっていた。国見に生まれた作品たちは、表現者同士の魂の交歓だったのではないだろうか。

 国見の高台の今は、住宅地だ。何本もの電柱と遠くに見える木々が「夕立くだった青葉山」をトリミングしていた。
(絵と文・古山拓)

  

書家伊藤康子先生との共作。(サイズ全紙)