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卒業

卒業

今日の夕刻、「おひさしぶりです」とアルティオのドアを開けて現れたのは、東北大学に通う学生F君でした。アルティオがオープンしたばかりの5年前、一人暮らしの彼はよくアルティオによってくれていました。ここ数年しばらく顔を見なかったのですが、「今日、大学の卒業式でした。今から就職先の東京に向かうんです。最後にお別れを言いたくて…」

うれしかったです。いろいろ話しているうちにF君の目に涙。「だって…今からもう東京に行っちゃうんですよ。もう会えないかもしれないんですよ。ほんと、ありがとうございました」

ウクレレが趣味でアルティオで弾いて歌ってくれたり、一緒に晩ご飯を食べに行ったり、私たちも良き思い出をもらえました。別れ際、店をあとにすると、見えなくなるまで何度も振り返って手を振って、最後はサムアップして東京に向かいました。F君、ありがとう。

トップ画像は表紙イラストを手がけている、JR東日本「駅長オススメの小さな旅」20194月〜6月号。いよいよ仙台駅にて配布となりました。塩竃神社に咲く塩竈桜がと神社本殿がモチーフです。是非目にしましたらお持ち帰りください。

描くにあたって桜を際立たせるために、バックに彩度の低い補色の緑を配置しています。主役モチーフを描くとき、主役と同じくらいに背景の色合いに気を配っています。奇遇にも、ブログに連載している「子規と歩いた宮城」転載も塩竃神社です。文末に続きをアップします。今回の絵のトーン,ダークですがいろんな想いを描き込んだ絵で、結構好き、です。

『子規と歩いた宮城』第7回 塩竃神社3

  涼しさの 猶有り難き 昔かな  子規

  かつて歌人にとって、塩釜は憧れの地の一つだった。藻塩焼きの神事が歌枕となり、紫式部も塩釜を歌に詠んでいる。子規もまた、神社の眼下にたなびく煙を「塩焼く煙かと見るは汽車汽船の出入りするなり」と記している。


 この描写は、旅人歌人ならではの表現だと思う。塩焼く煙という歌枕と、時代の先端技術が吐き出す黒煙。彼は時代の移り変わりを「はて知らずの記」にさりげなく描写した。

 旅人が前に進むための原動力の一つは、「想像力」だ。今の風景を見つめ、色あせた歳月に思いをはせ、脳内で再生させる。そんなふうに今につながる歴史に血肉を通わせることも、旅の要だと、私は思う。


 「山水は依然たれども見る人は同じからず」(はて知らずの記より)

 子規の塩釜訪問から百余年。塩釜神社の眼下、名をなした歌人たちの焦がれし「山水」が変わらずにあった。

 旅人の想像力はたくましい。子規は明治の塩釜に、はるか平安の時を見た。

(絵と文・古山拓)