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「時代」:余録・正岡子規「はて知らずの記」を辿る連載第9回

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「時代」:余録・正岡子規「はて知らずの記」を辿る連載第9回

 年度がかわります。そして平成がまもなく終わります。
思い返せば、アニメーターの仕事に就いたのが、1986年=昭和61年。三つの元号に渡って絵の仕事をやってきました。
アニメーター時代は1986年〜1989年。ちょうど昭和の終わりです。その三年間は自分の「仕事のために描くスピード」の基礎を作ってくれました。
平成の31年間は印刷広告の仕事にイラストレーターとして携わってきた時代でした。技術的な学びをした時代だったように思えます。
平成の終わりに近づくにつれ、いくつかの絵本や挿絵という新しいジャンルの仕事をするようになってきました。そのことは、「あなたならこの世界をどう見ますか?」と問われはじめている感じがします。新しい元号の時代は、さらに「わたしの現実」を深めていけると、楽しい時代になりそうです。

昨日、東北大学名誉教授・小林文生先生の講座を受けてきました。(先生との縁は、フランスブルターニュを調べていた頃にさかのぼります。昨年、アルティオの「おはなしの部屋△」にもゲストでいらしてくださっています。)
講座の内容は先生の専門、プルーストでした。先生の渡してくれる「はっ」とする言葉の数々。文学から立ち上がる、現実世界の「見方」にどきどきしていました。

「一本の道があり、柵が続き、花が咲いている」という目の前にある風景は、人にどのように認識されるかで「変わってくる」のです。プルーストの表現にかかる講義は、表現芸術に携わる自分にとって、まさしく啓蒙の講義でした。

良きにつけ悪しきにつけ今の自分を創り出してきたのは,それぞれの時代ではなく、日々選択を繰り返してきた自分です。これからさきも未来を作り選んで行くのは自分自身。目の前に現れる日々=風景=事象は私にしか見えない現実です。時代や風潮に流されることなく,自分にしかない道を選んで生きていくことが新しい時代を生きる責任、のように感じました。

今日の絵は、小林先生との縁を繋いでくれたフランスブルターニュの小村の港です。題は「繋留船」。もやいを解いて、新しい時代に臨みたいです。

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正岡子規「はて知らずの記」を辿る辿った自著転載、今回も松島湾。

松島の名勝のひとつ「五大堂」を湾から見て感じたことです。ちなみに水彩画の元になっているクロッキーは船上での鉛筆速描き。そのクロッキーを元に制作しています。

『子規と歩いた宮城』第9回 松島湾・2
涼しさのここを扇のかなめかな   子規

 子規は、櫂こぐ船頭の松島紹介口上を次のようにつづった。

「…舳に当たりたるは観月楼、楼の右にあるは五大堂、楼の後ろに見ゆる杉の林は瑞巌寺なり。瑞巌寺の左に高き建築は観瀾亭、悄々観瀾亭に続きたるが如きは雄島なり。」

 そして船着き場へ接岸。子規は松島上陸の感激を「恍惚として観月楼に上る。」と「はて知らずの記」に記した。

 今回の句は、私が五大堂を船上から見つけた時に思い出した句だ。船で松島に入ると、五大堂や観蘭亭が海原に向かって「正座」していることに気づく。海原が扇なら、門前町松島が要か。海上交通が高速交通の手段だった昔、ランドマークが海へ向かって座しているのは、至極当然だ。陸から見ていたのでは分からない。

 船着き場前の宿に投宿した子規は、通された部屋の障子を開く。と、そこには焦がれていた島々が広がっていた。

 仙台を出て榴岡、塩釜、そして松島へ。子規の長い一日は、さらに門前町散策へと続いていく。
(絵と文・古山拓)